The Heian garden

This is my article for class of graduate school,which was written in 2009.


The Heian garden


Sakuteiki is technical mannual of the later Heian period, written for a select group of people who were involved in garden making. So we could get knowledge about Heian garden by reading Sakuteiki even though no garden from the period exists.


I think that there are three points of view when we interpret Heian garden. The first one is relation between gardens and resindences. The second one is the how to make gardens. The last one is relation between gardens and life in the Heian period including aesthetic, sense of value, and system of society.



First of all, I should mention the relation between gardens and residences. Aristocrats had the geatest power in society at the Heian period. So, generally , shinden syle which is the classic architectural form of aristocratic residences calls for interpreting the relation between gardens and residences. In the classic architectural form of shinden residence, directly to the east and west of the Main hall were situated two annex halls from which long corridors, chumonro, led south to pavilions built in the garden. Just to the south of the Main Hall,and framed on the east and west by the long corridors, was a large flat area spread with sand. This area is referred to in the Sakuteiki as the Southern Court , nantei ,that was used for gatherings of all kinds, from sporting events to formal dance performances.
         

Secondly, the Sakuteiki was intended to reinforce oral teachings ,known as kuden,a term that implies a secret teching that an apprentice would receive from his master. Moreover, there are no professional gardening class during the Heian period. By the mid to late Heian period there were also Buddhist priests involved in garden building, known collectively as ishitateso ,literally stone-setting priests, though in fact the expression ‘stone-setting’ was simply a euphemism for ‘garden-making.’


Thirdly, according to Sakuteiki, there are four ways in which gardens were perceived during the Heian period. The first and most obvious of these interpretations are images of nature. We see that the garden was envisioned as representation of the natural world. The second set of meaning relate to ancient Chinese geomancy. The third interpretation relates to Buddhism.
 

In conclusion, the Heian garden reflected social system including lifestyle and architecture, and an aesthetic of nature.

立体に表象される「平面」への欲望

今日、資生堂ギャラリーで行われている「石上純也展 建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」を見てきた。


展示は、ギャラリーのフロアいっぱいに並べられたテーブルの上に無数の模型が敷き詰められているというもの。模型で表現されているものは、植裁や家具など小さなスケールものから、住宅、美術館、単体の建築ではなく都市的な規模のもの、あるいは丘や草原など自然環境といったものまで、スケールや環境の性質(いわゆる人工物/自然物)を問わない。それらは、紙に描かれたドローイングによって風景を描いたり、紙の上に乗せられた極小のボリューム群によって俯瞰的にある環境を見せたり、あるいはオーソドックスな模型によって空間が作られたりと、さまざまな方法で表現されている。


しかし、これらの展示を見ていると、あるひとつの特徴を感じずにはいられない。
それは模型(そして建築)に表れている、「薄さへの異常な感覚」だ。


ところで「薄さ」というと、そんなに特別な指摘ではないように思われるだろう。
というのも、「薄さ」といった言葉は、石上の出身事務所である妹島和世事務所をはじめその妹島と西沢立衛による建築ユニットSANAAの建築を表現する代名詞でもあるからだ。
それはSANAAや、それに類似した現代建築を言語的に表現するクリシェであるといえるだろう。


この「薄さ」に関連して、建築批評家の五十嵐太郎氏は『現代建築に関する16章』の中で建築におけるスーパーフラットについて2つの特徴を挙げている。それは、ファサードをデザインの核とすること、ヒエラルキーの解体というものだ。前者の特徴に対して「QFRONT」やSANAAの「飯田市小笠原資料館」のガラスを例に挙げながら、スーパーフラット2.5次元へ向かう、と述べられている。また後者に関しては、SANAAの「金沢21世紀美術館」に見られるプログラムのレベルでの解体に加え、西沢立衛の「ウイークエンドハウス」に見られる部材レベルでの解体を挙げている。


この二つの特徴のうち、後者のヒエラルキーの解体はプログラムや価値観の解体など、「モノ」以外の次元を含むため一概には言えないが、ひとまず物理的なモノに表れるスーパーフラットの特徴として、「2.5次元性」として考えてよいだろう。


では、石上の模型表現にある「薄さ」は五十嵐が指摘した「2.5次元性」であろうか。
ここでSANAAの模型表現と比較して考えてみたい。


SANAAの模型は、部材の薄さを極端に追求され、人や植裁などの添景も立体でなく平面的な材によって表現されることが多いが
、とはいえそれらは模型という三次元の中に配置されている。いわば「3次元を2次元的に作る」ということが試みられている。
つまりSANNAの建築は本質的に3次元である、といえる。


一方、石上の模型はどうであろうか。むろん、SANAAの模型のように「3次元を2次元的に作」られているものも少なくない。しかし石上の展示には、それでは理解できないものが含まれている。例えばギャラリーに入ってすぐのところに置かれている「池と家」という作品は、一見ドローイングの作品かと思われるくらい微小なボリューム群が紙の上に配置されているというものだ。同様の傾向は、他の作品にも見受けられる。つまりここで表れていることは、「3次元を2次元的に作る」のではなく「2次元を3次元的に作る」ということだ。しかし、それだと透視画や写実主義絵画のように見受けられるかもしれないが、そうではない。確かに文字通り3次元なのである、しかしその3次元性を極端に抑えぎりぎりまで2次元化していく、「厚み」ではなく「薄み」を持った「模型」であり「平面」なのである。つまり石上の模型(建築)は本質的に2次元なのである。


しかしここで問題なのは建築は本質的に立体であるということだ。
どういうことか。
SANAAの場合、模型表現は「3次元を2次元的に作」られたものであり、それは確かに3次元であるから、模型をそのまま建築に(なったかのように)することができる。
しかし石上の場合、「2次元を3次元的に作る」ものであるから、「3次元を2次元に投影したものを再び3次元に引き戻す」というやや複雑な想像力が発揮される必要がる。
そこで石上はひとつのトリックをしかけている。それは建築の異常なプロポーションである。「テーブル」にも見られるように、石上の作品には、「異常に長い」「異常に高い」ものが多い。つまり極端なプロポーションを設定することで、3次元的な建築物に対し擬似的な2次元性が表象されることとなる。


しかし、このような石上の模型及び建築に表れる「薄さへの異常な感覚」をどう解釈したらよいのだろうか。
これは「限りなく平面に近い模型表現」及び「その建築化のための異常なプロポーション」という「(平面的な)模型⇔建築物」に答えがあるのではないだろうか。
つまり、そこで出来上がった建築は自らを平面の世界へと没入させる装置なのではないか、ということだ。
そしてそこに表れているのは「平面への欲望」だといえる。


ここに表れている「平面への欲望」が何か、あるいはなぜかということは
もはや建築の範囲を超えた議論となるだろう。
さしあたり可能性だけを述べておくと、言うまでもなく「まんが・アニメ的なもの」への欲望である。それはセクシャリティの問題にあつながるだろう。
これらとは直接つながらなくとも、石上のドローイングに表れるイノセンスな印象はそれらに近いものがある。
これは「まんが・アニメ的なもの」とか「建築」とかを超えて議論されるべき問題であり
それについては力量不足もあり、またの機会に行いたいと思う。

個の情感/記号の快楽

先日、映画「Split the Difference」を観てきた。


これは9月4日から二週間限定で全国の映画館で公開されている
Mr.Childrenを登場人物としたドキュメンタリー映画のような体裁をとっているものだ。



内容としては
はじめに、Mr.Childrenがレコーディングしているスタジオに知人友人を招いてパーティーを開き、そこで公開録音とスタジオライヴの中間つまり「Split The Difference」(中間を取る)と命名された「スタジオ・ライヴ・レコーディング」を行うことが計画される。
そして、計6回行われた「Split The Difference」までの、打ち合わせ、リハーサル、本番の風景が、Mr.Chidrenのメンバーの細かい表情や仕草に焦点をあてながら、映し出されていく。
The Globe Tokyoで行われた6度目の「Split The Difference」で演奏された「ニシエヒガシエ」が流れた後
映像は再びスタジオのありふれた日常的な風景に戻りエンドロールが流れる。
最後に、桜井和寿がスタジオで機材を調整している姿を映し出し
映画は終幕する。


このラストシーンは非常に印象的だ。
桜井が中腰で機材を触っている光景は
とても150万枚もCDを売るモンスターバンドのボーカルとは思えない
どこにでもいる一人のミュージシャンであった。


そもそもこの映画には、「Split The Difference」の計画から本番までを描くという大まかな筋はあるものの
いわゆる物語に必要な、劇的な展開も、内面の葛藤や立場の違いなどといった対立関係も描かれていない。
そこにあるのは、ただ’音楽がある風景’である。
ここだけ見れば、日常性を主題とする映画や文学など他の表象作品でも見られるものであるし
それ自体は特筆すべきことではなく凡庸だ。
しかし、この映像と音の中には、「テーマとしては凡庸じゃないか」とくくることのできない
ある情感を感じずにはいられない。
そしてそれはリハーサルの風景に端的に表れているといえる。


どういうことか。
スタジオでは、桜井はじめメンバーの一人一人が自分のペースで、楽器の音の調整や歌声の確認などをしている。
そこには雑談や独り言など、人間としての冗長的な身体行動が含まれている。
それはまさにありふれた光景だ。
そしてその連続の中で、誰かの合図とともにバンドとしての演奏がはじまっていく。
ここで表れているのは、冗長的で凡庸な風景の中で、普通の人々によって作られていく音楽のあり方だ。
しかしそこにはまぎれもなく「個」の人間が描かれ、それが鑑賞者に強い情感を呼び起こすのだ。


さて、このような「個」に対置できるものはなんだろうか。
それは記号化(シミュラークル)の表現だということができる。
シミュラークルという概念は、フランスの思想家ジャン・ボードリヤールが提唱したものであるが
大衆消費社会では、オリジナル(つまり個)は存在せず、コピー(記号)が再生産されていくということを意味している。
それは音楽でいえば、現代ポップスを見れば明らかだろう。
そこで歌われているのは、どこかで聴いたことのある定型化された記号の羅列である。
そこでは、快楽をいかに効率よく喚起させるかが目的となるため表現としてのオリジナリティー
椅子取りゲームとしての仮のものにすぎない。
これを徹底していくと、もともとの音楽の歌詞や文学が扱っていたはずの内面や自我といったものが
表現されなくなり、ただ快楽だけが存在するものとなる。
そしてそれはひとつの可能性をしめしているといえるだろう。


しかしこのような状況が圧倒的に社会を覆っていく中で
「Split The Difference」に描かれた「個」の情感は
どうしようもなく私の身体を揺るがしたのである。
いや、そもそも彼らは「個」とか「記号」とか、そのような言語上の問題を扱いたかったわけではないだろう。
「Split The Difference」のパンフレットにはMr.Childrenの名でこう記されていた



「目的」とか「理由」とか
深く考えるのやめて
「ボランティア」とか「ドネーション」とか
人の善意とも無関係

演奏したい人がいて
それを聴きたい人がいて
ただただ楽しい時間の為に音楽が存在する

そんな音楽の「あたりまえ」を一緒に。。
いかがでしょう


このような素朴に「楽しさ」を求める姿勢を批評性がないと言うのは容易いが
それは、「目的」とか「理由」を求めてきた彼らだからこそ言える
現代における戦いのあり方なのではないだろうか。

とあるレポート

今年の始めに書いた大学院でのレポート転載です。

「虚構を他者が『上書き』する」
1.はじめに
 建築家は何を問うべきなのか、あるいは問えるのか、まずこういったメタレベルでの問題意識から始めたいと思う。なぜか。それは「私達は今、建築を通して何も問えるべきことがないのではないか」という認識があるからである。そもそも「問題にする」とはどういうことなのか。問いとは「批評」であり「批評」は、「通俗」「権威」あるいは「外部的危機」に対するカウンターとして成り立つはずである。しかし、そのような「大きな敵」は今果たして存在するのだろうか。現在の社会は、フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールが指摘したように「大きな物語」が終焉した、つまり社会全体で共有できるような理念やイデオロギーが消失した社会である。代わりに、ある特定の集団にのみ特定の価値が選択された「小さな物語」が乱立しているような社会と捉えることができる。これを社会学者の宮台真司は「島宇宙化」と呼んだ。そのような環境化では、中心的な価値は存在せず、あるモデルをたてても、他の価値観によってすぐさま相対化される。つまり、ここでは理論上、カウンターとしての批評は成立しないのである。そのような認識にたった時、それでも直、あまねく他者達に対して「問い」が成立するとすればどういった枠組みがあり得るか。結論を先取りすると、私はそれを「公共性」という概念に見いだしているのである。これは私個人の理念というよりは、このように複数の価値体系(他者達)の集合で成り立つ社会の中で、個人(の価値観・理念)はどうあるべきか、といったメタ理念といっても良いだろう。そしてそれは、どうある「べき」か、といった「倫理」の問題なのである。私達はここから始める必要がある。なぜなら、「大きな物語」から「意味」を与えられなくなった以上、「なぜそれに意味があるのか」といった土台から構築する必要があるからだ。このような「公共性」「倫理」の問題は人文思想の学問領域では当たり前に論じられているものであり、ここで改めて語ることでも、また私が語れるものでもない。しかし、こういった前提から始める必要がある以上、恐れず論じていきたいと思う。
 本論ではまず、「公共性」の概念を政治理論・政治思想史を専門とする齋藤純一氏の言説を参照しながら概観する。次にこの枠組みを用いながら、「非作家性」を論じた建築家集団「みかんぐみ」の建築論を「他者性」を扱った試みとして再評価する。最後にそこで得られた問題と可能性をふまえた上で、「公共性」を実践していくための仮説を論じたい。
2.「公共性」とは
 齋藤氏は自著『公共性』の冒頭部分でハンナ・アーレントの言葉を引用しながら「公共的空間」について以下のように述べている。

……この文章は、「公共的空間」を二つの政治的価値に関係づけている。一つは、〈自由〉である。この言葉は、アーレントにおいては、抑圧から解放されている以上の何かを指している。それは「イニシアティブ」、何かを新たに始めることである。公共的空間は、そうした始まりとしての自由が、言葉や行為という形をとって私たちの前に現れる空間である。もう一つの政治的価値は、〈排除への抵抗〉である。「椅子は空いたままだが席はもうけてある」……公共的空間は、あらゆる人々の「席」=「場所」がもうけられている空間である。

ここでは「自由」と「排除への抵抗」が、「公共的空間」が持つ政治的価値だと述べている。つまりこれは、なんらかの「共同性」(あるいは島宇宙といってもよい)がその価値体系から逸脱する他者を、排除しないことは可能か、という問いに変換できる。またこれに関係して「共同体」と「公共性」の差異については

共同体が閉じた領域をつくるのに対して、公共性は誰もがアクセスしうる空間である点である。……第二に、公共性は、共同体のように等質な価値に充たされた空間ではない。……公共性は、複数の価値や意見の〈間〉に生成する空間であり。逆にそうした〈間〉が失われるところに公共性は成立しない。第三に、共同体では、その成員が内面にいだく情念(愛国心・同胞愛・愛社精神等々)が統合のメディアになるとすれば、公共性においては、それは、人々の間にある事柄、人々の間に生起する出来事への関心である。公共性のコミュニケーションはそうした共通の関心事をめぐっておこなわれる。……最後に、アイデンティティ(同一性)の空間ではない、公共性は、共同体のように一元的・排他的な帰属を求めない。……公共性の空間においては、人々は複数の集団や組織に多元的にかかわることが可能である。かりに「アイデンティティ」という言葉をつかうなら、この空間におけるアイデンティティは多義的であり、自己のアイデンティティがただ一つの集合的アイデンティティによって構成され、定義されることはない。


つまりここでは、「公共性」は「共同体」と異なり、「同一化」とそれに伴う「排除」に抵抗するものであるから、「複数の価値を許容」し、「共通の関心事」によってコミュニケーションがなされ、アイデンティティも多義的であるという性質を持つ、と述べられている。
 この「複数の価値の許容」と「コミュニケーションメディア」をどういった形(あり方)で作るかが、公共性実践における問題となる。次節では、この枠組みのもと「みかんぐみ」の建築論を読み解いていく。


3.「非作家」(みかんぐみ)に「公共性」は宿るのか
 みかんぐみは、1995から活動を開始した建築家集団で、現在4人(設立当初5人)をメンバーとしている。みかんぐみは、アトリエワンらとともに建築評論家飯島洋一氏によって「ユニット派」として位置づけられ、90年代後半から2000年代前半に現れた風潮として現在では認識されている。彼らは1998年3月に住宅特集の記事内で、「非作家性の時代に」というタイトルの論考を寄稿している。本論では、この「非作家〜」で語られている「作家」「非作家」という図式ではなく、「自己」「他者」あるいは「複数性」というような観点から、もう一度みかんぐみの試みを捉えなおすものとする。その前にまず、彼らの主張を整理し、その上で私の問題意識と重ね合わせることとする。
 彼らは、この論考の中で、発表した2作の住宅を解説しながら、「非作家性の時代に」という自身の主張を展開している。ここでは、その方法・キーワードとして「普通であること」「パラメータの豊富化」「クライアント」「複雑さの受容」「わかりにくさとダイナミズム」があげられている。「この複雑さの受容」という小題の中で、コンセプトが明快でわかりやすい建築への違和感を語りながら、こう述べられている。

 

…しかしこれだけ複雑さを増した現代社会においてそのような単純明快な方法で問題が片付くとは私たちは思えない。…複雑さをそのままま受け入れ、そのなかでバランスを失わないようにものごとを判断していくことだと思う。私たちにとってパタメータを豊富化することは、そうすることで複雑な時代を肯定的に受け入れ、この時代にふさわしい設計方法を模索することにつながっている。

ここでは「複雑になった社会」への反応として、それを「受け入れる」「バランスをとる」という態度が表明され、その方法として「パラメータの豊富化」が選択されている。
また、その表現的(イメージ)特徴である「普通であること」に関しては

 …逆にユニークネスが先鋭化したところのエキセントリックな作家性に違和感を感じてしまう。…つまり、建築家としての過剰な表現が前面に現れないようにデザインすることがみかんぐみとしての共通した指向性であり、…そのための具体的な方法として私たちが採っているいるのが「パラメータの豊富化」である。


ここでは、現前する「作家的なもの」に対する違和感として、「非作家・普通なるもの」が表明され、その方法として「パラメータの豊富化」が選択されている。
 ここまで読んでいると、なるほど、と思ってしまいそうであるが、ここに奇妙な違和感を感じずにはいられない。なぜなら、ここで仮想敵とされている内容的問題の「問題の単純化」とイメージ的問題の「作家的なもの」が暗黙のうちにイコールで結ばれているが、果たしてこれは素直に結合される問題なのだろうか。整理して考えよう。彼らは、ここで「複雑な社会」に対し、「複雑な内容」を受容し、作家的なものではなく「非作家」(普通、あるいは単純なもの)で答えようとしている。つまり、複雑性を縮減する装置、パッケージとして「非作家的なもの」が召還されている、といえるだろう。これをもう少し建築の歴史的文脈から捉えると、彼らがユニットを結成する95年以前は、80年代的ポストモダニズム、ディコンストラクティビズム
が蔓延し、ちょうど終焉を迎えようとする時代であった。ここでいうポストモダン建築は、人文思想でいうポストモダン社会ではなく、「モダン」(近代)という「大きな敵」が存在し、そのカウンターとして機能していたものであり、それはディコンストラクティビズムも同様だろう。そこで選択された表現形式は、どちらも過剰な記号操作、形態操作を行った「複雑」な表層をまとっていた。しかし物語(内容)的には、「近代vs○○」と、世界の複雑性が縮減された単純な構図に還元されている。つまり、彼らみかんぐみの主張は、複雑性が縮減されなくなった「複雑な社会」に対する反応以上に、過剰な形態操作を行った「80年代的なもの」への反動だったのではないだろうか。(あるいは曽我部氏らの師である坂本一成氏の「日常性(とその相対化)」に対する親和性もあるかと思われるが、それは本論の域を大きく超え、ここでは割愛する。)
 ここまでで、彼らの主張の整理と、歴史的な再評価・位置づけを行ったが、ここから見えてくることは、彼らのいう「複雑さの受容」と「非作家的なもの」は、別の次元で扱われるべきだ、ということだった。つまり「ポストモダン」など大きな敵が存在しない以上、その非作家性は批評性を持ち得ない。むしろ、現実空間に現れる「非作家的」な建築達は、商業主義に飲み込まれることによって「作家的(演出的)」になっているともいえるのではないか。もちろん思想的スタンスとして「日常性」を指向することはできるだろう。筆者もそれには同意する立場を選択している。ただ、「作家/非作家」=「普通でない/普通」という図式はもはや成り立たなくなった、ということである。
 しかし一方、もうひとつの方法論であった「パラメータの豊富化」についてはどうであろうか。これは、私の言う「公共性」の枠組み、つまり「複数の価値の許容」という観点からも可能性を持っているように思える。次節では、この可能性を展開し、一つの仮説を論じたい。

5.他者が「上書き」する「虚構」という可能性
 私達が今、問うべきことは、複雑性が縮減されなくなった社会で、価値の多元性が現れ(島宇宙化)、それらをどう乗り越えていくか、ということであった。つまり、都市、あるいは少数の人間関係、あるいは個人の中で、そのような多元性に身を任せ、その個々人、時々に応じて、好き勝手やればいいということではなく、そこでそれらをつなぐような、公共に立ち現れる思考、行動はないのか、ということである。個人主義・個別主義を一方で保存しながら、公共性を発動することは、大きな共通の話題(政治・経済など)ではもはや成立しえない。これは建築・都市の問題でも同様のことがいえる。だからこそ、私たちは、この公共性を考えるとき「個人性」(個人の選択)をつきつめること、そしてそれを「他者」と関係づけること、からはじめる必要がある。なぜなら、無限の他者は想定できない、無限の複雑性は受容できない、そんな中で、「私」にひきこもることではなく、「私」が出会う「他者達」との「交換」という枠組みを作る必要があるからだ。建築から脱線した議論のように感じるが、そうではない。このような「どうあるべきか」といった「倫理」を構築しない限り、「批評性」は現れないと考えるからだ。では、この「倫理」「理念」のもと、建築をどう考えるべきだろうか。
 そこで先ほどの、「パラメータの豊富化」を考えてみよう。みかんぐみは「豊富なパラメータ」を表象する装置として、つまりその複雑性を縮減するために「普通である」表現を用いていた。先ほどの論考ですでに、これが「普通である」必要性がないことが示されている。私はここに「虚構性」を導入したいと考えている。複雑な諸問題(=パラメータ、情報)を出力するための方法としての「個人性」・ロマン主義、あるいはファンタジーといってもよいだろう。これはかならずしも、「私らしさ」という「個人性」でなくてもいい、パラメータや複数の情報を、「集合的(社会的)無意識」として取り出し、一つの形式とする「日常性」もまた、現実から紡ぎだされた物語(ファンタジー)であるといえるからだ。重要なのは、そのような「個人性」という建築形式/イメージが、複数の他者性(パラメータ、情報)によって上書きされていく、という建築・都市像を作り上げることである。つまり都市に現前する無数の情報(建築や歴史・地域性を含め、無数の他者の価値)を公共的な共有財とし、個々の建築に組み込まれ、ばらばらな建築達がつながれていくのである。これを都市的に共有されたかたちで実践していくためには、公共性の条件でもあるコミュニケーション「メディア」として、情報(パラメータ)のプラットフォームの構築(情報空間)、それを引き出しながら各々が設計を行っていく、というような都市理念とインフラの構築が求められるだろう。そうやって、作家達が持つ・作る無数のフィクションを都市の情報が上書きしていく、あるいは使用者や次世代の設計者達が意味を変質させていく。そのように意味論的に影響しあうような建築・都市像である。
 これは、考えてみれば当たり前に行われていることかもしれない。しかし、そうしたことに目を向け、「問い」を与えていくという姿勢から「公共性」を実現していく活路が見いだせると信じている。

とある論考

『翻訳』の想像力−「わたし」達の建築・都市に向けて−
1. はじめに
 今、建築について考えることは、何につながっているのだろうか。建築について語ること、考えることが、どこか自閉的で、その意義を感じられなくなっているのは、私だけだろうか。
 フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールが指摘したように「大きな物語」が終焉し、つまり社会全体で共有できる共通の理念や目標を失い、現代社会は、複数の小さな物語が乱立する状況となった、と考えることができる。(これを社会学者の宮台真司氏は「島宇宙化」と呼んだ。)そのような状況下では、公共的な議論の対象を獲得することは困難となる。それゆえ、自閉的に感じるのは必然といえるだろう。
 では、なぜその自閉的な状況では、「考えること」に意義を感じられないのか。再び、建築の問題に戻すと、それは建築について「考える」ことが、社会がどうなっていくのか、あるいはどうあるべきなのか、といった人や社会の「理想」に繋がらなくなったからではないだろうか。つまり、建築以外の島宇宙が存在していることが自明であるにも関わらず、言語的には切り離されている、という状況になっているからだ。これは、社会の「全体」が描けない以上、必然であるかのように思えるが、果たして本当にそうなのだろうか。建築家の磯崎新氏は『<建築>/建築物/アーキテクチュアまたは、あらためて「造物主義」』という論考の中で、このように建築について誰も語らなくなった状況があり、その背後には建築が何も意味しなくなり、役に立たなくなった、という共通認識があるとして、それを「建築不全症候群」と呼んだ。
 本論の関心は、「なぜ建築を考える・語ることについて、意味を感じられなくなったのか」に尽きている。そしてどうすれば、その状況を打ち破る事ができるのか、についての一つの解答を示すことが、本論の課題である。結論を先取りして述べると、建築について考えることが、「生きる」ことについて考えることに繋がらなくなった、ことがその理由であり、これは建築的な想像力と、生活のそれとの関係を再考することによって、一つの突破口が開けるのではないか、という解答を示すこととなる。また、これは建築と人・社会の関係を再考することで、社会「全体」としではない都市論のあり方について考えることにもなるだろう。それらについて考えていくために「理想」というキーワードを軸に、本論は展開されている。なぜなら、「考える」ことは、未来に向けて想像することを一つの役割としており(たとえその対象を過去に向けていたとしても)、それは「理想」について考えることだ、という認識を持っているからだ。
 以上のような関心のもと、本論は以下のように構成される。2章では、1970年代末に建築家レム・コールハースによって書かれた『錯乱のニューヨーク』を20世紀最後の都市論として位置づけ、これ以降、建築を語ることの意義が消失されていったものとして捉える。ここで問題となるのは、資本主義としての社会が、どのように個別主義を生み出し、建築の物語と、生活のそれを乖離させていったのか、ということである。3章では、多木浩二氏による著作『「もの」の詩学』を参照し、大衆消費社会における建築と「理想」の関係を考察する。これは、建築はいかにして人々に欲望されてきたのか、について考えることとなる。4章では、社会学鈴木謙介氏のいくつかの著作を参照し、現代社会における「理想」のあり方を考察する。これにより、建築は今、何を考えるべきかという手がかりを得られるだろう。5章では、それらをふまえた上で、建築はいかにして未来について語れるか、について一つの仮説を提示したい。

2.分岐点としての『錯乱のニューヨーク』
 建築家レム・コールハースによって1970年代末に書かれた「錯乱のニューヨーク」は、レム・コールハース自身が「ゴーストライター」となりマンハッタンの物語を記述し、「マンハッタニズム」という「超過密の文化」を、遡及的なマニフェスト(すでに起きた事実を再構成して語る)という形で提唱したものである。具体的には、コニーアイランド、摩天楼、ロックフェラーセンター、ダリとコルビュジェ、と時系列にマンハッタンでの建築、事件、人物を追いながら、そこに働く原理、価値(マンハッタニズム)がいかに形成され展開されてきたかを示した。
 ここでは、19世紀末からのマンハッタンの事実をつなぎあわせていくことで、いわゆる近代建築的な「正史」では語り得ないもうひとつの歴史を再構成することが試まれている。またそこにダリやコルビュジェの寓話をはさむことで、西欧的近代をマンハッタニズムが飲み込んでしまったこと、つまり近代建築という「正史」を乗り越える歴史であるということが意図されている。
 では本論の枠組みでこれらを捉え直すとどう解釈できるだろうか。この「錯乱のニューヨーク」を「大きな物語」が終焉した都市像と見ると、そこで描かれた個別化された「理想」は、またそれと建築との関係はどのようなものだろうか。
 「錯乱のニューヨーク」では、メトロポリスでの人間像について、ダウンタウン・アスレチック・クラブという建築について語りながら以下のように述べている。

 反自然派の牙城であるこのクラブのような摩天楼は、人間がまもなく二種類の種族に分かれることを予告している。ひとつはメトロポリス種族−文字通り自分を自分で作るセルフメイド存在−であり、彼らは現代性という装置の持つあらゆる可能性を利用し尽くして、きわめてユニークな完成の域に達している。それに対し、第二の種族はたんに残りの伝統的な人間種族である。(「錯乱のニューヨーク」ちくま学芸文庫、p268)


 ここで述べられているセルフメイド存在とは、スカッシュやプールやボクシングで運動をし、予防医学で男性美の探求を行い、自分自身を「自身の欲するデザインに作り換える」ものとして語られている。マンハッタニズムに生きる個々人の関心は「自己」に向かうのである。では、建築はそれにどう応えているのだろうか。「補遺 虚構としての結論」という章の「囚われの球を持つ都市」という計画案についての文章の中で、以下のように述べられている。

 メトロポリス文化の本質が変化−つまり絶え間のない運動状態−にあり、そして概念としての「都市」の本質が、誰にも読み取れる複数の不変項のつらなりにあるとするならば、このとき囚われの球を持つ都市の基盤をなす三つの公理−グリッド、ロボトミー、垂直分裂−だけがメトロポリスの領土を建築に取り返してやることができる。(前掲「錯乱のニューヨーク」、p490

 この「グリッド」は、マンハッタンの敷地を2028個のブロックに分割するものであり、その敷地内ではそれぞれ個別的な価値が追求され「都市の中の都市」を生む。つまり、メトロポリスにおいて個々人の関心が「自己」に向かう、ということを都市レベルで実践させていくためのシステムとして「グリッド」が機能しているのである。
 また「ロボトミー」とは、建築の規模がある一定の限度を超えると、内部(機能、活動)の内容が外部(形態)に比べて複雑かつ多様になるので、後者と前者を一致させることは不可能になり、それぞれ別の論理で作られるようになる、というものである。(これは後に、「S,M,L,XL」の中でビッグネスという概念に言い換えられている) 
 その「ロボトミー」によって切り分けられた建物の内部は「垂直分裂」することによって、つまり階ごとにその主題(機能や世界観)を切り分けることによって、その複雑で多様な要求を内包するような構造となっている、と言っている。
 これらは、都市レベル、あるいは単体の建築内においても、個別化が徹底される(つまり複数の主体のそれぞれの判断のもと建築の内容や価値が決定される)ことによって生まれたシステムである。
 では、このようなマンハッタニズムに生きる人間像、それらの個別化された価値観を許容するための建築・都市のシステムはわかったとして、これらはどのような欲望によって支えられているのだろうか。メトロポリスにおける欲望に関して、レム・コールハースはこう述べている。

 マンハッタンというメトロポリスはある神話的な到達点を目指す。すなわち、世界が完全に人間の手によって作り上げられ、それによって世界が絶対的に人間の欲望と一致するような点を目指すのである。
 このメトロポリスは麻薬的効果を及ぼす機械である。それ自体が逃れる手段を提供してくれぬ限り誰もそこから逃れることはできない…。こうしてそれは、浸透力を及ぼしながら、自然に取って代わり、まるで自分が自然であるかのような顔をしている。要するにありふれた、ほとんど誰の目にもとまらない、そして当然ながら言葉になり難い存在になってしまっている。(前掲「錯乱のニューヨーク」、p486)


 世界と人間の欲望が一致するというような無限遠の目標へと向かって運動が続けられていく。それは、「自己変革」という欲望が常に生み出されている状態だろう。つまり、ここでは、メトロポリスの資本主義システムのことが語られているのである。思想家の柄谷行人は「隠喩としての建築」の中で資本主義の動力について以下のように述べている。

 資本主義の動力は、むしろ消費を断念しても、交換の権利、すなわち貨幣を獲得しようとする欲動なのである。くりかえしていえが、それが貨幣のフェティシズムである。…注意すべきことは、一般に蓄積ということが貨幣フェティシズムによって生じるということである、歴史的に、蓄積は、貨幣の蓄積としてのみはじまるのだ。(中略)蓄積は必要や欲望のもとづくどころか、それらにまったく反した、一種の倒錯(フェティシズム)に根ざしている。蓄積の欲動、そして資本の運動こそ、逆に、必要以上の必要、過剰な欲望をわれわれに換気するのである。(「隠喩としての建築」岩波書店、p218)


 この「貨幣フェティシズム」によって、際限なく欲望が再生産され、資本主義の運動が持続し、そのシステムによってメトロポリスもまたその「自己変革」の運動を続けていくのである。つまり、都市は資本主義の論理により、自動的にその変化が持続していくだけのものなった、ということである。
 このような状況の中で、レム・コールハースは前述した「グリッド、ロボトミー、垂直分裂」だけがメトロポリスの領土を建築に取り返すことができる(建築が扱える領域である)、と主張したのである。
 ここまでで、「錯乱のニューヨーク」で語られていた、メトロポリスでの人間像と、それに対する建築の反応、またそれを支える欲望、を考察してきた。これらは、未だに、現在のグローバル化した都市において有効な枠組みであると考えられる。しかし、一方で、その有効性を現代的に再検証する必要がある。なぜなら、この「錯乱のニューヨーク」以降の、建築は自閉した議論しか生産することができなくなった、というのが本論の問題意識であり、今どのように都市あるいは社会を考えればいいのか、そのための枠組みが必要であるからだ。では、なぜそのように自閉してしまったのか。資本主義が徹底され、社会の全体性が崩壊する。そして世界の複雑性が縮減されなくなった社会において、建築は「ロボトミー」の原理により、純粋に「形態」の問題か、「実用」の問題に引き裂かれ、前者は主に「建築家」の問題として、後者は主に「ビジネス」の問題と乖離していく。これによって建築を語ることは、人や社会を語ることにつながらなくなり、建築を考えることは、「形態」の問題以上のものを語りえなくなったのである。
 では、この状況下でどのように建築を考えていけばいいのか。ここではやはり「グリッド、ロボトミー、垂直分裂」がヒントになるだろう。これらはどれも基本的に、社会全体で共有できる「理想」を消失することで、無数に現れる個別化された小さな「理想」を建築・都市が内包することとなり、全体としてはその複雑な内容に答えることができないので、全体の形式と、そこに含まれる内容は乖離していく、という論理でできている。しかし、なぜ、この小さな「理想」への眼差しが捨てられなければいけなかったのか。もはや社会全体の「理想」を想定することはできないが、ある個別の「理想」に対しては応えることができるのではないだろうか。そうしたことが、建築を考えることと、「生きる」ことを繋げていくのではないか、と考えている。また、そこでの個別的な「自己」と「他者」の関係を考えることで、新しい都市像にもつながるだろう。
そのことについて考えていくために、手がかかりとなる二つの作業を行う必要がある。一つ目に、現代では社会全体の「理想」が消失したとして、それが存在したと「思われて」いたころ、建築はどのように機能したのか。二つ目に、現代社会に生きる人々は、そのような社会の複雑性に直面しながらどのように理想を持ち(あるいは持たず)、現実と理想の関係を作っているのか。次節では、この一つ目の問題に対し、多木浩二氏の論考を参照することで見解を述べていきたい。

3.大衆消費社会の「もの」と「理想」の関係
 1980年代前半に出版された、多木浩二氏著の『「もの」の詩学』は、ヨーロッパにおける19世紀初頭までの家具の変容の歴史、19世紀中期までの博覧会・美術館とブルジョワジーイデオロギーの関係、19世紀末にバイエルン国王のルードヴィッヒ2世が建てた城、20世紀初頭にナチスドイツのヒトラーによって計画された都市、を扱いながら建築や家具など「もの」に潜在している社会の無意識や政治性を論じたものである。これらを、人々が抱く「理想」がどのように「もの」に現れていたのか、として捉え直してみたい。
 多木氏は、ルードヴィヒ2世について扱った章の中で、近代社会における「もの」のキッチュ化について述べながら、以下のように述べている。

 いいかえれば美的記号としての「もの」が、あらかじめ存在する社会的−政治的な諸関係を象徴するというより、社会性そのものを構成する主要な要素になってきたからである。王であったルードヴィヒはもちろんこうした大量の商品の世界にまきこまれたのではないが、かれの「もの」のつくり方は、なぜかやがて近代社会の大衆文化につきまとう現象(キッチュ)の美的性質をそなえていたのである。(『「もの」の詩学岩波現代文庫、p168)


 ここでは、階層社会を上から下へと「もの」の文化が移動することによって生じる「キッチュ」さ、という点で、消費社会における大衆文化のそれと、19世紀末の最上流階級にいたルードヴィヒ2世に類似的な関係があり、後者を研究することは前者を考察する上でのモデルとなる、と言っているのである。また、続けてこうも書かれている。

 文明化とは欲望の浮上とその記号的(儀礼的)統御のバランスが漸進的に世俗化に向かう移動をさしていたわけである。だがエリアスの扱った文明化はあらかじめ特権を有している階層での変化であった。キッチュ現象はこの特権的階層と非特権的階層との関係が変り、後者が以前は自分のものではなかった文化を我有化していく過程があらわれた結果なのである。(前掲『「もの」の詩学』、p169)


 つまり、この「キッチュ」は、「手に入らなかったもの」への無意識的な欲望から生じている、ということである。例えば、ルードヴィヒ2世は、「王」という身分であったが、実質的には資本主義の台頭によってその存在が脅かされる時代にあった。それゆえに、「『王』の身分への執着が、現実の断念と裏腹に強まってきたのだろう」と仮説をたてることができるのである。では、これは「もの」にどう現れているのか。

 もちろん、ルードヴィヒがバイエルンに城をつぎつぎに建てているとき、このような構図、このような帝国幻想を意識したことすらない。かれにとって、目標は「王」の身分、「王」の威信であった。しかしそのための城は、ある意味で安っぽいロマンスのつみ重ねであった。しかも素材は歴史的過去にあった。城は、このような夢の作業から、必然的に、ヨーロッパの権力の歴史の幻想的な見取図を潜在化させはじめる。ゴーロ・マンがドイツの中世の政治の実相をかたちづくったという「神聖ローマ帝国」の幻想は、ルードヴィヒが無意識に描いていく構図のなかでは、ローマに起源をもつヨーロッパ帝国という幻想になっていたのである。(前掲『「もの」の詩学』、p197)


 ルードヴィヒが建てた城には、ロマネスク様式、ゴシック様式ビザンチン教会と、不統一的な多くの様式が現れていた。加えて、中国の宮殿、オリエントの王座、ヴェルサイユなど地理的、歴史的にも広がりのるイメージが現れていた。これらは、象徴的に表現された「権力」であり、その源をたどっていくと、「ヨーロッパ帝国」という幻想が浮かび上がってくる、とここでは述べられている。
 ここで注目すべきは、ルードヴィヒが「手に入れることができなかった」「(実質的な)王」としての存在への憧憬が、無意識的に歴史物語を経由しながらも、建築のイメージや様式に現れている、という点である。つまりここでは「理想」が「虚構」(なぜならそれは達成されることはないからである。)として建築に投影されているのである。建築は、そのような「理想」への欲望を現実に(虚構化されたものだとしても)具象化する役割を担っていたのだ。そしてそこに現れる「理想」は、社会の劇的な変化により、「身分」や「階級」といった、「手に入れることのできなかった(がしかし、虚構として獲得できる)権力」への欲望として現れた、ということであった。つまりここでは、「理想」に支えられた「物語(=幻想、虚構)」への欲望が、建築の様式(=形態)やイメージと結びついていた。だからこそ、建築の「形態」や「イメージ」について語ることによって、「物語」や「理想」について語ることが可能だったのである。 
 これは、章の冒頭でも述べたが、ルードヴィヒの場合だけではなく、大衆消費社会においても同様のことが言えるだろう。例えば、社会学者の鈴木謙介氏は著書「わたしたち消費」の中でこう述べている。

 「理想」としてのマイホームが定人びとの間に定着するのは、高度経済成長期の頃です。この時期に家庭に普及したテレビは、アメリカのホームドラマを通じて、パパ・ママ・ボクの核家族を、ひとつの「理想像」として描いていました。それは同時に、高度成長に支えられた「我が家」と「マイカー」の購入によって可能になるような、実現可能生を持った理想でもありました。(『わたしたち消費』幻冬舎新書、p76)


 ここでは、社会学大澤真幸氏の「理想」「虚構」への言及を参照し、「理想」を「未来において現実に着地することが予期されているような可能世界」、「虚構」を「現実への着地ということについてさしあたって無関連でありうる可能世界」とされている。 
 ルードヴィヒ2世についても、高度成長期におけるマイホームにしても、ある手に入れたい「理想像」があり、そこでは人物、環境、「もの」がセットになって、その像を形づくっている。そしてその欲望の仕組みとしては、「理想」(「王という身分、幸せな生活など」への欲望が、社会で共有された「物語(=虚構)」(こういう場所に住めば「理想」に近づけるよ、というような幻想)を介して、建築などの「もの」へ向かった、ということだろう。
 今日では、そのような社会全体で共有される「物語」は存在しない。それは、人々が建築に「理想」を求める、ということが期待できなくなることを意味している。なぜなら、上述したように、その欲望は「物語」を介したものだったのだから。
 では今、建築と人の関係を再考する時、社会において「理想」がどうなっているのか、あるいはそれを信じさせる「物語」がどうなっているのかを考える必要がある。よって次節では、鈴木謙介氏の論考を参照することで、それについて考察する。

4.「理想」の現在的あり方
 前章では、建築や「もの」に、どういう仕組みで人々の「理想」が投影され欲望されてきたか、ということを多木浩二氏の論考を参照することで考察してきた。これは、19世紀末バイエルンの王という個人を対象に分析したものだったが、マイホーム幻想など大衆消費社会における消費も同じ構造で語れる、ということを先述した。しかし、これらのような解釈は、社会全体で共有される「物語」があるからこそ可能になる。その「物語」が個別的になっていくと、事象間の関係、例えば建築の様式と階級といったような関係が読めなくなってしまうからだ。
 鈴木謙介氏は、『わたしたち消費』の中で、大衆消費時代での消費を「みんな」型の消費とし、また消費の動機づけをしていた「物語」が細分化していくことで消費における選択の基準が個人の感性へと移行し、「みんな」から「わたし」型の消費へと移行する、と述べている。この「みんな」型の消費とは、高度経済成長期のマイホーム幻想に見られるように「みんなが目指すべき姿」を達成しようとする消費のあり方であり、これは「大きな物語」によって支えられていた。そうした「みんな」という基準が失われた後の、「わたし」型の消費として、「わたしたち消費」と「断定系消費」が挙げられている。前者は、「私だけが知っている」出来事が、集合的な行動により「私たちだけが知っている」出来事へと変換されることによって起きるものだとされている。それらを動機づけている「理想像」に関しては、共同体と共同性の差異について言及しながらこう述べられている。

 社会学の知見は、私たちの考える「人に優しい共同体」が、近代になって人びとが共同体から解き放たれると共に現れた「理想像」に過ぎないことを教えます。つまり、私たちは、共同体が失われたと思えば思うほど、どこかに理想の共同体があるはずだ、という観念にとらわれるようになったのです。(中略)私たちが、「わたしたち」というつながりを求めるという現象に関していえば、そこで求められているのは、参加者にとって理想の共同体のように感じられるつながり、すなわち「共同性」と呼ぶべきものだということになるでしょう。(前掲『わたしたち消費』、p106-107)


 これは、「理想」としての「あるはずのつながり」を求め、消費によってそのつながりが獲得されるようなあり方のこととして考えることができる。(これは、「iPhone」が発売された当時、商品の発売という「イベント」に参加することが、ファンの間でのコミュニケーションのネタとなっていたことが、例として挙げられている。)
 一方、「断定系消費」に関しては

「みんな」基準が失われて、どれでも好きなモノを選んでよいという状況にとどまっている人たちに、「これがわたしの欲しいモノだ」と思わせてくれるようなメッセージやメカニズムを与えることで、その決めつけに基づく消費を誘発すうような事態を指します。(中略)これらは、実際に序列があるかどうかは別にして、そのような「絶対的な序列がある」ということを信じ込むことから生まれます。「このように生きるといい人生が生まれます」「本来日本人はこんな美徳を持っていたはずです」といった、「絶対的な判断基準」を提供しているのも、こうしたブーム、商品の特徴です。(前掲『わたしたち消費』、p108-109)


とされている。「わたしたち消費」にしろ「断定系消費」にしろ、これら二つの消費のあり方は、どちらも消費における選択の基準が個人に委ねられた時、「理想」としての「あるはずのもの」を求めているという点で共通している。
 このような無根拠で実現可能性が低い、遠い「理想」へと人々が向かっていく状態は、鈴木氏の他の著作である『カーニヴァル化する社会』の中で詳しく論じられている。そこでは、若者の雇用問題(フリーター、非正規雇用)を例に挙げながら、以下のように述べられている。

 冷静になってよく考えてみれば、「やりたいこと」も「働くべき理由」も、内発的には存在しない。だからこそ、客観的には実現不可能な遠い目標を設定し、そうした「漠然としたやりたいこと」へ向けて、テンションを高めていかなければならないのである。(『カーニヴァル化する社会講談社現代新書、p53)


 また、このように遠い目標へ向かい、その遠さや叶わなさに冷めてしまうも、再びテンションを高めていくというような、目標へ向かっていく時の躁状態と、冷静な時の鬱状態が分断される状態を「分断される自己」というモデルで説明されている。
 ここでの若者の雇用問題における「やりたいこと」や、前述した「私たち消費」における「わたしたちだけ」知っているモノによるコミュニケーション、「断定系消費」における「わたし」が欲しいモノ、などは「自分とは何か」という問題に直面した時に、理想としての「自分にあるはずのもの」を求める、というかたちで表れている。しかし、それは内発的には存在せず無根拠な「理想」であり、叶わない「現実」との間で分断されていく。
 では、その時「理想」はどのように生成されるのか。これについて鈴木氏は、データベース(情報環境)によって自身が欲望するものをアルゴリズム的に提出してもらい、その結果に人間的な理由を見いだすことによって、その「理想」の材料にするという、情報環境と自己の往復運動によって生まれている、と述べている。これは先ほどのモノの消費という点で考えれば、所与の情報(商品あるいはそれに付随する「このように生きるといい人生が生きられます」というような物語)を経由することで、「わたし」はこれが欲しかったんだというと思い込むようなあり方であろう。このように、情報環境と自己の往復によって、絶えず「自分にあるはずのもの」という「理想」が生成されている、と考えることができる。
 このように「理想」が、情報環境と自己を往復することによって生成されている、と考えれば、情報環境というインフラを介して人々は繋がってはいるものの、その自己はそれぞれ異なる夢を見ている状態といえよう。しかし、その自己の間は閉じられたままなのだろうか。「夢」の交換はありえないのだろうか。また、このような「理想」のあり方の変化に、建築の思考は対応しているのだろうか。
 ここまでで、現代社会において人々が持つ「理想」のあり方についての一つの見方を得ることができた。ではこの時、建築はいかにその役割を考えていけばいいのか。次章では、そのための仮説を提示したい。

5.「翻訳」の想像力
 現代社会では、社会的に共有される「大きな物語」という共通の「理想」や目標が存在しない。これは建築を作るだけで、自動的に大きな意味や役割が獲得される、といったことが不可能になったことを意味している。もちろん、建築は、生きていく上に必要不可欠なものであるといえる。しかし建築が「必要」である、ということと、建築が「欲望」されていることは違う。なぜなら、現代社会は(特に日本においては)、モノの豊かさにあふれ、その「必要」さは既に「自然」なものとして受け入れられているからだ。(もちろんこれはすべての国や地域にあてはまるとはいえない。)しかし、建築家達は、その「自然」にどう距離をとるにせよ、そこから飛躍することで「理想」を作り出すことが求められる。
 では、その「理想」はどのようなものであるかというと、データベース(これは情報環境、あるいは市場と言い換えてもよいだろう)と自己の往復によって生成された、「自分にあるはずのもの」という自己物語として現れている。そしてそれは、その無根拠さゆえに(自分でそう思い込んでいる状態であるため)、叶わない「現実」との間で自己が分断される、というモデルで理解することができる。 
 このような考えを持ったとき、建築はどのような役割を構築できるだろうか。それに答えるためには、その状況に対する本論の立場を示す必要があるだろう。
 そこで、もう一度、1章の最後の議論に戻ってみよう。「錯乱のニューヨーク」では、「グリッド」によって分割された個々のエリアに、それぞれの主体が「自己」の価値判断に即して、個別に建築が作られていくような都市像が示されていた。そこで建築(家)に残された領域としては、「ロボトミー」と「垂直分裂」という、全体の外的な形態をいかに作るか、と内部の複雑な要求をどう処理するのか、という問題のみであると答えられていた。これは、都市全体にしろ、一つの建築にしろ、個別の作られ方と全体の作られ方が乖離していくあり方である、というものであった。それは自閉的な「自己」と、それが集合することを可能にする全体の仕組み、によって成り立っているということである。
 では、それらに対し、本論はどのような立場をとるのか。それは、端的に、次の三つである。一つ目は、「自分にあるはずのもの」という無根拠ではあるが、生きていくための「理想」に応えること、これはその「理想」の価値が「自己」に向かうものである必要がある。二つ目は、そのような「自己」が、自閉的なシステムで再生産されるのではなく、他者との関係の変化によって書き換えられていくような枠組みを作ることである。三つ目は、「理想」と「現実」に分断された現代の自己像に対して、その「分断」の問題に応えることである。
 これらは、絶えず価値の参照が「自己」へ向かうような個別主義的な都市に生きながらも、そこでいかに人は集合して住むのか、ということに対する私の解答である。そして、それは自己物語としての「理想」を夢見ながら、あるいは「現実」を生きながらも、他者との関係によって、お互いの「理想」や「現実」を書き換え、価値を交換していくような人間像・社会像である。
 ここで問題になるのは、この「自己」とは誰なのかということである。建築家なのか、クライアントなのか、そこに訪れる人なのか、建築主なのか、またその持ち主も変わる可能性もある。しかし、そのような、過去や未来を含め想定できない「全体」を夢想することが一つの隘路ではないか。建築家によって「全体」は「計画」できない。しかし重要なのは、その建築家も「全体」の一部である、ということだ。建築を設計する時、その場合に応じて、個別の「自己」が設定される必要があるだろう。そして建築家を含めた「自己」が、現れては消えていくという、過去・未来を含めた複数の他者による流れの一部に組み込まれる、という都市像が必要なのではないだろうか。
 では、先述した三つの対応に、どのように建築的な思考を巡らせることができるのか、その指針を示したい。
 一つ目の、「自己」に向かう「理想」に関しては、建築論としての物語が「何」に向けられたものなのかを示す必要がある、と考えている。これは、建築の形態を生み出すための物語ではなく、その「何」を媒介にし、生活像を伴った物語として表現することができるのではないか、というものである。つまり、2章で扱ったような大衆消費社会における「みんな」の物語ではなく、「わたし」の物語として、である。これについて考えていくための手がかりとして、建築家ユニット・アトリエワンが提唱する建築論「ビヘイビオロロジー」が挙げられる。アトリエワンの塚本由晴氏は雑誌「10+1no.49」のインタビューの中で、ビヘイビオロロジーについてこう述べている。

 例えば、光、風、雨といった建築の周囲のある物理的な自然要素のふるまいをコントロールするために、屋根勾配や窓庇や雨樋といった細部が生まれる。また、建物が似たものの反復のなかに置かれたときには、必ず周りとの同一性と差異が浮かび上がり、そこにふるまいと呼べるものが出てくる。これに、人のふるまいを加えた三つの次元のふるまいの取り扱いから、建築を捉え直し、それらを関係づけていく。そういう想像力が「ビヘイビオロロジー」ですね。(「10+1no.49」INAX出版、p87-88)


つまり人や自然現象や建物などを、「ふるまい」という視点で捉え直すことで、それを媒介に、人々の生活の物語と建築のそれを結びつけているのである。これは、個別的な「理想」に応えながら、つまり「自己」に向かいながらも、反復の中や複数の他者の中に組み込まれていく、ということを可能にするものとして考えることができる。
 次に、残りの二つに関しては、建築の持つ「動かないこと」と「そこにあり続けること」といった性質が有効なのではないかと考えている。建築は、不動性や、少なくとも数十年は建ち続けるという不変性を持っている。これは、自己以外の他者に出会わざるを得ない、という状況と、自己の状態に関わらず変わらないものがある、という状況を生む。上述した二つ目の対応である、「自己」の自閉性に関しては、設計者として、あるいは生活者として、自己に閉鎖した物語を持ち込もうとも、その場所には周辺を含め、他者の物語が変わらず存在している。こういったことに目を向けることが、自身の閉鎖的な物語を、お互いに書き換えていく可能性があるのではないだろか。次に、三つ目の、「理想」と「現実」の分断に関しては、建築は、「理想」としての自己物語を表現すると同時に、生活を支える物理的なものでもある。それは、そこに生きる人の、物語へ向かう態度の差異(躁鬱状態)に関わらず、変わらず一方で「理想」として、一方で「現実」として現れる。このような「変わらずある」という性質が、その分断されたものをつないでいく契機になるのではないだろうか。
 もちろん、このような建築の不動性や不変性は、「当たり前」のことであるかもしれない。しかし、こういった当たり前のことを、建築の「物語」として差し出すこと、また、自己物語を生きながらもそれは絶えず「現実」であることが、現実空間や情報空間を含め様々な「物語」で溢れた現代社会において、建築の役割と強みを示していくことにつながるのではないだろうか。
 ここまでで、本論の結論はすべて述べたこととなる。しかし、上述したような建築的思考は、建築の長い歴史の中で、すべて語られてきたような内容である。問題なのは、それをいかに現代の生に結びつけるか、といった言説のあり方だろう。建築が培ってきた知性に敬意を払いながら、それが今生きることにどう接続するのか、という建築の言葉と、生きる言葉を「翻訳」していくという作業が今必要なのではないだろうか。そうすることで、閉鎖的な自己(あるいは島宇宙)の間を言葉が流通し、人はどう生きるべきか、そこで建築はどうあるべきか、といった次なる想像力が生まれていくのではないか、と考えている。
 

参考文献
ジャン=フランソワ・リオタール『ポストモダンの条件』(水声社 1986年)
宮台真司『制服少女達の選択』(朝日文庫 2006年)
磯崎新「<建築>/建築物/アーキテクチュアまたは、あらためて「造物主義」」『ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり』(鹿島出版会 2010年)
レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(ちくま学芸文庫 1999年)
Rem Koolhaus and Bruce Mau『S,M,L,XL』(THE MONACELL1 PRESS 1995)
柄谷行人『定本 柄谷行人集 第2巻 隠喩としての建築』(岩波書店 2004年)
多木浩二『「もの」の詩学』(岩波現代文庫 2006年)
鈴木謙介『わたしたち消費』(幻冬舎新書 2007年)
鈴木謙介カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書 2005年)
塚本由晴 南後由和「いまなぜ、「ビへイビオロロジー(ふるまい学)」なのですか」『10+1 no.49』(INAX出版 2007)

建築が叶える「理想」についてのメモ

今日こんな仮説をたててみた。
『建築が今生きられたものとして語られにくいのは、何を欲望してるか、とかどんな理想を持っているかとかが、情報化されたものの中にあるからではないか(情報環境に親和性の高い人は)。今までのように現実空間の建築を見るとともに、流通してる(無意識的に)理想化された空間(情報空間・アニメなど表象含め)について考える必要があるのでは、と』
というのも、建築(家)が現代社会の中で、一つの無力感を感じていたり抵抗しようとしているのは
社会や都市を「作れない」のではなく「語れない」からではないのかと、考えていたからだ。
ではなぜ「語れないのか」。それは建築を語ることが、人や社会について語ることに直結しなくなったことにつきるのではないだろうか。
ではなぜ、直結しなくなったのか。それに対する答えとしての仮説が先に述べたことである。

建築は実質的な環境を構築することができるが、単純に今「こうして使える」以上のことを語る時、それは一つの「理想」やフィクションが提出される必要がある。それはある種、今無意識的に欲望されているもの、とどう距離をとるか、近づけるか、という操作になるだろう。しかし現代の問題は
その「理想」がどこに属してるのか、あるいはそのあり方も、人によって違うし(社会全体で共同性が発揮されていないため)
何を「通して」理想を夢みているのかが理解できないからだ。(データベース化された情報空間or現実空間)

例えば
多木浩二さんが語ったように、いわゆるポストモダン社会以前なら、権力と大衆的欲望の関係を「もの」を通して見ることができた。それは理想が権力(という大きな物語?)に向かっていたからだ。

しかしある時代以降、ものの消費を通して、大きな理想に到達しようということは不可能になり、個人の好きなものに依存していく。
しかし、その「好きな」がどのようにして、なぜ、どこで生まれているのか、への思考を放棄するのではなく
困難であるからこそ再考すべきではないかと考えている。
今、人々が夢みる「理想」や「欲望」は、何を通して夢見られているのか。
それと従来的「欲望」のフィルターの回路がどう違い、どう併存しているのか。

このことを考えてみる必要がある。
そのためのヒントとして
多木浩二氏著の「ものの詩学」「生きられた家」
社会学鈴木謙介氏著の、現代社会における理想と消費の関係を語った、「わたしたち消費」あたりから再読してみようかと思う。

建築の倫理

以下の文章は大学院のとある授業に提出したレポートの転載であるが
建築は何を問うべきか、に対する私の暫定的な主張である。


「他者達に上書きされる虚構」
1.はじめに
私たちは、何を問うべきか、あるいは問えるのか。私はこの問題に対して、建築を学ぶ立場からの見解を述べたいと思う。思想家の東浩紀氏、社会学者の北田暁大氏を編集委員とする「思想地図vol3」、「思想地図vol4」ではそれぞれ副題を「特集 アーキテクチャ」「特集 想像力」とし、その「問い」の行く先を考える上で、非常に重要な試みを行っているものとして位置づけられるだろう。本論の目的は、そのような問い「人・社会はどうあるべきか」といった思想的問題と「建築・都市はどうあるべきか」という建築(のための思想)的問題を接続させることによって、建築的な想像力を社会的ヴィジョンの中に位置づけることにある。そうすることで、思想・批評の役割、またその中で建築の役割も示すことができるだろう。これらは、思想地図において建築家藤村龍至氏の論考によって実践されつつあるが、そこで語られていることを土台にしつつも、本論ではそれとは異なった視点で、建築と人文思想、強いては人や社会との関係を探るものとする。端的に言うと、私は建築において「自己」と「世界」の関係、意味論あるいは物語的な問いを立て直すことからこの事が可能になるのではないか、と考えている。これは現在の文脈からするといささかおかしな話に聞こえるかもしれない。ジャン=フランソワ・リオタールが指摘したように「大きな物語」が終焉し、物語が公共的に機能しなくなった現在に、「規律訓練型権力」から「環境管理型権力」へと権力のあり方が移行し、アーキテクチャ(環境)が公共的なプラットフォームとして、権力を担うものとして批判的に検討される対象となり、その中の一つとして「建築」がゼロ年代の人文思想、特に「思想地図」に登場しているというコンテクストがあるからだ。誤解を恐れずに言うならば、ここでは「建築」は「意味」や「物語」を介さず、物理的環境としての可能性を問われている。私は、この可能性を否定しないし、重要なものだと考えている。しかし、そういった環境を設計する時、そこには明らかに「価値」というものが投影される(それは市場原理かもしれないし、個別的な趣向かもしれない)。「環境」としては無意識の状態にあるにせよ、設計される段階においては「選択」されるものであるからである。そしてそれが社会的に集合する時、それらばらばらで個別化された「価値」をどう共存させていくか、といった「倫理」が必要とされる。この「倫理」を立ち上げていくためには、「自己」と「世界」あるいは「他者」との関係を問題にする必要がある、と考えているのである。これに関して、2009年1月に東京工業大学で行われたシンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」において、議論の中で持ち出された2ちゃんねる設計者の西村博之氏の「公共意識なき公共性」に対して、宮台真司氏はこう述べている。

…彼は単に「公共的でない「のに」結果的に公共的なものを作った」のではありません。「プラットフォームの是非を人々の行動に関わる面白い面白くないという自己評価に即して考える「から」結果的に公共的なものを作った」のです。…


これに対し、東浩紀氏が「公共的であることと、「公共的」な意識のズレ」をどう考えていくか、という問題を投げかけた。ここで語られている「公共的であること」は思想の役割を考える上で重要なキーワードになると思われるが、予期と結果がズレる現状において、それを実現していくためには、上で語られていた「から」の部分を考える必要があり、まずは「〜べきだ」という倫理の問題になるだろう。

 前置きが長くなってしまったが、以上のような前提をもとに、本論は以下のように構成される。まず、「思想地図vol3」の藤村氏の論考を読み解き、現在の建築と思想の関係を捉える出発点とする。次に、そこから得られた問題点を元に、現代建築史、とくに95年以後の建築的文脈を再構成する。最後に、本論の目的である、これからの思想・批評の役割、特に建築(家)はそこでどのよう機能するか、についての私の主張を述べたいと思う。

2.「批判的工学主義」における人間像とは
 藤村龍至氏による論考「グーグル的建築家像を目指して」では、1995年以降グローバリゼーションと情報化によって、社会工学・人間工学的な方法論が結びついた空間の原理が、社会環境の中に生まれたとし、その都市空間の設計者は「組織派」と「アトリエ派」に分かれ、前者が深層を、後者が表層を担うという二層構造になっていることを指摘した。また東浩紀氏の言説を参照しながら社会環境の変化を「工学化」と「動物化」が同時進行する状況を「工学主義」とし、建築の歴史文脈のそれを位置づけながら、自身が選択する立場「批判的工学主義」(アトリエ/組織を乗り越える第三の立場)を提唱している。ここではその前史として、ロバートヴェンチューリやOMA、MVRDVなどの建築家(集団)を社会工学的なアプローチの実践として、スウェーデン発の家具ブランド「IKEA」のショップを人間工学的なアプローチの実践としてそれぞれ参照し、「批判的工学主義」を実践していくための問題を「与条件を深く読み込んだ建築としての複雑さを維持しつつ、スピードを両立する」とし、その方法論である「超線形プロセス」を提唱した。
 確かにこれは社会環境が要請する状況に対して、建築家が担える領域を拡大させ、創造的であることと、社会的経済的な合理性を同時に両立させる批判的な立場であるといえる。東浩紀氏は建築雑誌2009年6月にて「それはなぜ「批判的」なのか」という文章を寄稿し、こう述べている。

マルクスの時代においては、人工物が自然であるかのように見えることを、その倒錯を指摘して別の人工物の可能性を提示することが批判たり得た。しかし、もしその戦略が、いまや端的に環境の複雑さによって失効しているのだとすれば?…自然に任せるのでもなく、自然に対抗するのでもなく、自然を賢く制御する知恵と技術。藤村はその態度こそ「批判」という言葉で名指している。…


ここでは「自然に対して抗う人間」という近代的人間像が従来の「批判的」な態度として挙げられ、それを現代の状況下で乗り越える態度を藤村氏に見いだしている。ではそのような人間像とは一体どういうものなのか。東氏は自著「動物化するポストモダン」の中でポストモダンにおける人間性について、こう述べている。
 
 

…データベース型世界の二層構造に対応して、ポストモダンの主体もまた二層化されている。それは、シミュラークルの水準における「小さな物語の欲求」とデータベースの水準における「大きな非物語への欲望」に駆動され、前者では動物化するが、後者では擬似的で形骸化した人間性を維持している。…この新たな人間を「データベース的動物」と名づけておきたいと思う。…


これは非常に重要な指摘である。ここでは、人間(=他者の欲望を欲望する、意味を欲望する)性は、データベースを介して、擬似的に、動物的な欲求に還元することで満たされる、という人間像のことを言っているのである。つまり、データベースは情報の集まりであればなんでもよい、ということではない。その擬似的な人間性を、意味を獲得できるものである必要がある。さらに、東氏は2010年2月6日に行われたイベント「LRAJ vol.10 メタボリズム2.0」の冒頭部分に、濱野智史氏のプレゼンを受け、こう述べている。

 …一般意思という概念があります。集合的欲望みたいな物を、数理モデルで把握する…twitterのようなダイナミックなコミュニケーションを利用して、生成してくる集合的無意識みたいなモデルを考えられるんじゃないかと思うんです。…上の表層的なコミュニケーションみたいなものは、深層の無意識みたいなものにダイナミックに組み込まれていくようなモデルで考えなければいけないだろうと思うんです。…


つまり、この「データベース的動物」の枠組みでいうと、データベースは他者の欲望で溢れている必要がある。アーキテクチャーは、そのような集合的無意識の生成をエンパワーメントする、あるいは受容する(動物的な欲求に還元する)ためのインターフェイスとして機能する。このような枠組みのもと、藤村氏の「批判的工学主義」を見れば、別の可能性が見えてくるように思える。では、その可能性とはどのようなものか、そしてそこで建築家あるいは思想・批評の果たす役割とは何か。これに答える前に、このような「動物化」の時代に、宮台氏がいう「世界有意味化戦略」が困難な時代に、建築(家)はどのようにそれに順応し、あるいは抗ってきたのかを考察したい。

3.動物の時代の建築
 ここでは東氏の枠組みにそって、95年以後の「動物の時代」における建築的想像力のあり方を考察したいと思う。90年代前半の建築家的表現、藤村氏の言葉を借りるなら「アトリエ派」の表現は、80年代のポストモダン建築・ディコンストラクティビズムが主流として扱われていた時代である。これらは、20世紀の建築言語を支配した「近代建築」という捏造された大きな物語を仮想敵として設定されていたものである。これは、大澤真幸氏がいう「虚構の時代」に対応するものといえる。しかし、95年あたりを境に建築界においても大きな変化が生まれる。80年代の過剰な形態操作、記号操作の反動としてかミニマリズムの台頭や、グローバリゼーションへの抵抗としてコンテクスチャリズム、エネルギーやエコロジーを問題にする環境主義建築、藤村氏の論考で参照されていたようにOMAやMVRDVらの「情報」を扱うプログラム建築といったように、共有された大きな問題ではなく、個別的な問題に対して、それぞれの解答を出すといった、まさに「島宇宙化」された状況となっているのが一般的な認識であろう。これらは大きな物語から意味が補給されなくなった時代において「有意味化」するための戦略であると見なすことができる。基本的にこれらの建築群は「社会性」があるとみなされる傾向にある。また一方、ある問題に対して答えるというカタチで設計を行わず、形態(形式)や素材などが自己目的化した、まさに「表層」を問題にする建築表現がゼロ前代にかけて現れはじめる。これは藤本壮介や、平田晃久らの建築が挙げられるだろう。雑誌「10+1no.48」のインタビュー記事の中で、藤本氏はこう述べている。
 

 …設計の最初のきっかけというのは、いつも本当に些細な思いつきだったりするのです。そうして…こんな場所は楽しそうだな、というところから、段々とイメージが膨らんで…そこに秩序らしきものが浮かびあがってくるわけですね。建築というのはいろいろ条件があって、敷地やお施主さんの要望やら…思いついたイメージやら、そういうのがごちゃ混ぜになって、頭の中に放り込まれるわけですよね。…なにか、単に新しいだけでなくいろいろな状況をすくい上げるような、あるいは豊かな場所が生まれるような秩序化を求めている。…


ここでは、設計者が楽しいと感じる身体感覚を手がかりに与条件をふまえつつ秩序を見つけ出していく、という過程が語られている。一般的にこういった語りは個人の身体性やイメージを重視する「私的」な表現であると認識されているが、これは自己のイメージを拡張することで世界を意味あるものにしようとする点において、「社会的」な建築と、(宮台氏の言葉を借りれば)「機能主義的に等価」である、といえる。つまり「社会的」であろうと「私的」であろうと、ある「島宇宙」に閉じこもっている状態である、といえる。では、「動物化」する時代において、「公共性」を問題にした建築家はいなかったのであろうか。つまり、価値観の異なる複数の他者の欲望を、建築を通して動物的欲求に還元するようなものを志向した者はいなかったのであろうか。次節では、この問題に対して答えるとともに、私の主張を述べたいと思う。

4. 他者達に上書きされる虚構
情報化し「動物化」した社会における「公共性」を問題にした建築家。それはまだいないと考えている。しかしヒントになるであろう作品、活動を作り/行っている人達はいる、と考えている。一つには、先述した藤村龍司氏。しかしここでの問題は、読み込むデータベースが他者の欲望を反映しているのか、そしてそれを出力する際に集合的無意識を生成できるか、あるいは建築によってそれを欲求に変換できるかという問題がある。二つには、空間デザイナー李明喜氏らのpingpongの活動が挙げられる。彼らはARのように、「環境における行為のログを大量に集めて抽出し」、可視化する。それを空間実践にフィードバックしようと試みているのである。これは行為という動物的身体性と、複数の他者を媒介する試みとして、非常に可能性があると思われるが、都市的な規模・条件の中でどう実践していくのか、その全体的なヴィジョンの構築が求められるだろう。三つに、建築家ユニット・アトリエワンの建築論「ビヘイビオロロジー」が挙げられる。塚本由晴氏は「10+1no.49」のインタビューの中で、ビヘイビオロロジーについてこう述べている。

 …例えば、光、風、雨といった建築の周囲のある物理的な自然要素のふるまいをコントロールするために、屋根勾配や窓庇や雨樋といった細部が生まれる。また、建物が似たものの反復のなかに置かれたときには、必ず周りとの同一性と差異が浮かび上がり、そこにふるまいと呼べるものが出てくる。これに、人のふるまいを加えた三つの次元のふるまいの取り扱いから、建築を捉え直し、それらを関係づけていく。そういう想像力が「ビヘイビオロロジー」ですね。…


つまり人や自然現象や建物など擬人的な他者を含め、それらの集合的無意識を「ふるまい」として取り出し、建築に定着させていこう、としているのである。これは人の行為という動物性に、他者的な意思を組込んでいく建築的想像力の実践として考えられるだろう。しかしここでもデータベースが他者の欲望に溢れているかという問題が生じることは言うまでもない。そして私は、このデータベースの出力形式、いわゆる「表層」や形態といわれるような建築表現に関しては、徹底的に個人的であってよいと思われる。これは個人的理念が反映されていても、単なる趣向であってもかまわない。もちろん建築家としては思想的であるべきだ、とは思う。しかしそこに公共性は宿らない、というのが現状の認識であろうし私もそう考える。(しかし「孕ませる」ことはできるかもしれない。)批評性、つまり公共的な「問い」を実践していくためには、脱規範化され個別化された「美」ではなくそのようなばらばらな個の関係をどう考えるかといった「倫理」であろう。ここで、詳しく人文思想の領域に踏み込むことは私の能力の域を超えている。しかし、そうした個別性が保存されながらも、複数の価値(他者)との偶然の出会いのよって、交換され上書きしあうようなあり方である「べきだ」と私は考えている。これは現在的な問題ではなく、時間軸的な問題としても捉えられるだろう。1960年代メタボリズムは、メガストラクチャーとしてのコアを持ちながらその周辺のボリュームが更新していくモデルを考えた。それに対し、「メタボリズム2.0」では情報(環境)の新陳代謝が提唱された。しかし、ここで「コア」とは何であったのだろうか。私は情報が「コア」であり、モノが新陳代謝するモデルではないかと考える。いや、情報も更新するが「更新するコア」なのである。そうやってログを残しながら建築が更新していく、いわば「ログ的メタボリズム」のようなイメージではなかったのだろうか。ここではある個人(島宇宙)が、複数の他者の中に、環境を媒介に接続し、組み込まれ合いながら、消えていく。そのようなイメージを構築できないだろうか。ここで、建築家あるいは思想家・批評家はどのような役割を担っていくのだろうか。シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」において、宮台氏は、作家はもはや「アドボケーターたりえない状況」となっているといった。しかし、そこは手放せないのではないか。そこでは徹底的に「美」(島宇宙的価値)を実践するとともに、それをどう他者の中に位置づけていくかという「倫理」を持つ必要がある、思想地図の言葉を使えば「知的誤配」を起こしていく、そのための都市的実践として以上のような方法が考えられるのではないか、これが私の主張である。建築家は徹底的に「虚構・ファンタジー」を作り出す、そしてそれは他者と互いに上書し合う。それが最も「倫理的」であると思うのだ。以上が、本論の結論であるが、これは先行する議論の域を出るものではないかもしれない。しかし、そうした「倫理」を構築し、建築的想像力を、他のあらゆる想像力と関係させながら思想的に実践していくという態度は今後も展開させていきたい。