窓の風景

いまにも雨が降りそうな暗い雨雲と
そこから射す光でできた空は
すごく奇妙なバランスで
どこかしらの不気味さが漂っている。


なんでもない眺め
だけれども、少し表情が違って
日常と
非日常と言わないまでも、その日常に少し違和感を持たせる。


それを窓からぼーっと眺めてると
不思議と心地よい。
家の中にいる安心さが
外で広がる小さな違和感を
これから生じる世界の変化に対する高なりに変えているのだろうか。

季節の匂いが変わる時

季節の匂いってありますよね。
春はほがらかで
秋はちょっと肌寒く
冬は心が静められるような

それは言葉にしづらくて
映像にも残しにくくて
捉えどころがないけれど、誰もが感じるものだったりします。

今日は、家の外に出た時に
「あ、夏の匂いがするな」
って感じました。

それは、暑さや湿気が、周りの木々の匂いを混じったようなもので
確かに感じるんだけど
言葉しようとすれば、カタチにしようとすれば
すぐに消えていく。

毎年感じる
この捉えどころのない感覚。

でもその感覚が、変わる「日」というのは一年に一回しかなくて
目には見えないんだけど
何か一気に世界が変わったような、そんな高揚感に包まれる瞬間でもあります。

雑記

えー。お久しぶりです(^_^;)

長い間ブログを放置していましたが
ちょっとずつ書いていこうかなぁと。

それに伴いまして
これからは
ちょっと普通の会話というか、話し言葉に近い文体で書いていけたらなぁって思ってます。

最近よく思うんですけど
話題というのは、複数の人々の共通の関心によって支えられていると思うんですけど
(例えば、趣味を同じにしてる...とか、学業・仕事内容が同じ...とか)
その関心の外に一歩出てしまうと
途端に、自分の持ってる話題が通じなくなりますよね。
この事自体は、前から考えていたんですが
最近は、そのズレを痛切に感じるようになってきて。
というのも、僕自身が、いままで会ってた人達とは違う人達に出会うことが多くなってきたからなんですが。
その人達にも届く言葉で、自分の元々の関心事について考えたり、書いたりしていきたいなと感じるようになってきました。

僕は、やはり都市、街のことについて考えるというのが基本的な軸としてあるので
街の中にある、誰もが知っているモノや現象について
少しずつ、自分の言葉で、相手に届く言葉で、書いていきたいなと思っています。

といっても、まだ具体的にどうこうというわけではないのですが
とりあえず、所信表明として記しておこうかなと(笑)

時間の中に住むものへ

今日、学校の最寄り駅で、帰りの電車を待っていると
大阪にいる母親の携帯から電話がかかってきた。


実家で飼っていた犬が亡くなった。


電話でその言葉を聞いた時
正直、頭の中に浮かんだ字面に驚きはしたものの
何も感じることができなった。


両親の帰宅を待っていたかのように
夜11時頃息を引き取ったそうだ。


うちの犬はもう14歳で心臓が悪かったから
長くはないとは誰もが思っていた。


でも、長生きしてほしかったし
なんだかんだまだ生きてくれるのじゃないかと思っていた。


実家に帰った時に会うと、相当呼吸がしんどそうだったし
これで楽になれたのかもしれない。


受話器の向こう側からの
母親の声を聞きながら
涙は止まらなくなっていた。


電車内では何も考えることができなかったが
遠い日の記憶だけが頭をかすめては離れ、また表れる。


歩いたあの道を、そこに眠るその姿を。


思えば、14年間の間、僕との関係も一様ではなかった。


初めて家に来たとき、まだすごくちっさくて
僕は犬を飼えてすごく嬉しかったと同時に、彼も新しい環境に怯えていたし、上手く付き合えなかった。
でもそのうち、ここが自分の家だと認識したのか、次第に僕ら家族に懐いてくれるようになった。
毎日一緒に散歩にいった。
僕が小学生・中学生の頃
家にいる時は、ずっとその名前を呼んでじゃれていたし、犬からしたら鬱陶しいくらいだったかもしれない。
時間を経て高校ぐらいになると
僕は、学校の部活と人間関係で気持ちがいっぱいいっぱいになり
あまりあの子に気をつかうことができなかった。寂しい思いをさせたかもしれない。
高校を卒業して、僕は一度大学の入学のため東京に行ったが
もう一度受験をしようと、休学して、大阪に戻った。
その頃は、小学校の時みたいに、また毎日散歩に行ったし
最も一緒にいたかもしれない。
高校の頃、あまり気を遣うことができなかった反面、この頃の親密な関係が
強く僕とあの子の関係を支えている。


僕はその後、再び大学生活をおくるため、東京に戻った。
つまり、そのような親密な関係は一年程だったが
僕が家からいなくなることがわかったのか
母の話によると
ある日、母が夕方に帰宅すると、あの子は家の二階にある僕の部屋のベッドに座っていたらしい。


人は時間に支えられている。


長い時間が付帯した存在
人であっても、動物であっても
それを家族と呼ぶのだろう。


いま、あの場所に歩く姿を、体を寄せて眠る姿を見つけることはできない。
現存する空間の中で、これからの時間を紡ぐことはできない。


しかし、今まで過ごした時間を背負って僕や、僕の家族は生きていく。


その時間の中に、ニッキーも生きるだろう。


安らかに、ただ安らかに眠ってほしい。


時間の中に住むものへ


過去の時間に住み、未来を生きよ。

建築系同人誌『ねもは』に寄稿いたしました。

友人が編集・発行しております同人誌『ねもは01』に
執筆者の一人として参加させて頂きました。
篠原一男著『続住宅論』についての書評でございます。


私の論考はさておき雑誌としてとても素晴らしいので
よければ是非、ご一読くださいませ!


HP: http://nemoha.web.fc2.com/

編集:市川紘司
編集協力:菊地尊也、岡村和明
大橋秀允、乙坂譜美、平野晴香
エディトリアルデザイン:加藤拓郎
表紙写真・アイコン:曽良あかり
印刷・製本:株式会社佐々木印刷所
協賛:復刊ドットコム


執筆者一覧

阿部篤
市川紘司
大橋秀允

大室佑介

岡村和明

長田達朗

斧澤未知子

加藤拓郎

加茂井新蔵

菊地尊也

黒川大輔

佐久間雄基

山道拓人

島矢愛子

鈴木克哉

関野阿希子

高橋良輔

千葉光

千葉美幸

辻琢磨

中井茂樹

西村祐人

橋本健史

林盛

連勇太朗

森田悠詩

吉本憲生

過去の日記-ウイリアムエグルストン展と原美術館について-

これは2010年8月にとあるSNSサイトで書いた日記の再掲です。





原美術館で開催されているウイリアムエグルストンの個展を見に行きました。
ウィリアム エグルストンは20世紀の写真史で重要な位置を占めると評されるアメリカの写真家です。そういった写真史的な文脈はあまり知りませんでしたが、建築・都市を考える上で重要な示唆を与えてくれるものでした。


というのも「都市に何かを見いだす」ってこういうことなんだよなーと思わせてくれたのです。
「都市に何かを見いだす」とは、非常に漠とした表現ですが
人びとが日常的に経験しているも、それが日常的で凡庸であるがゆえに言語化・歴史化されえないものに、いかに迫れるか、ということです。
「日常性」を重要視する表現者にとってはこれへの感度の高さが生命線となるはずです。
エグルストンの写真は、その見落とされがちなものへの焦点の当て方が鮮やかでした。
どこにでもある風景なはずなのに、見入ってしまう、そんな体験を与えてくれます。


具体的に言うと
ここで展示された写真は
パリと京都が舞台になっているんですけど
日本で生活している僕にはパリのは主題(日常性、凡庸さに焦点をあてる)はおもしろいとはおもったけど引き込まれるというものではありませんでした。
それは僕がパリに住んだことがなにので、その「日常性」のイメージがいまいちわからないことによります。


一方、京都シリーズの写真は、どうしようもない没入感を与えてくれました。
どこにでもあるような部屋の隅を撮った写真
それはどこかの古びたアパート、それも安っぽい素材で作られたもの、の廊下の片隅を撮ったものでした。
そこに表れている「埃っぽさ」は
確かに、見たことのある誰でも経験したことのあるものです。
しかし
ここまで鮮明に、それが「日常なんだ!」と表現できる人はいないのではないでしょうか。
エルグストン以降の表現者は、ここで問われることになります。
僕としても、このエルグストンの試みをいかに乗り越えていけるか
それを1つの課題として励んでいきたいところです。



ところで原美術館は近代の建築家渡辺仁さん設計の原邸(1939)をリノベーションして使われているものなのですが
基本的にここは建築がすごくいいのです。


この建築は、カーブの使い型や、タイルの外壁材などに表れているように
正統派の近代建築といった感じです。
しかし、渡辺仁さんという人は東京国立博物館とか帝冠様式の建築も作っていて、様式にこだわらないスタイルは魅力的ですがある種の謎も感じます。
まあここで「渡辺が求めたものは何であったのか」という問いを発せられるほどこの建築家に対する知識なく没入できないわけですが
二三思ったことを。


それは素材の使い方と建築の構成なんですけど
近代建築は基本的には「合理的であること」が主題であったわけで
つまり「無駄のないこと」が一つの価値になっていくわけです。
しかし、この建築にはそれと矛盾するところがある。
部分的な素材の構成(階段部とか大理石と木を組み合わせて細かく作っている)や、全体の室構成(円形のサンルームのような部屋があったり)を見ても
「無駄」がある。
それははこれが邸宅だったことと関係してるかもしれませんが
そういった近代のフレームにのってこない質を含みこんでいるところがおもしろいし、ある種の矛盾を抱え込んでいて人間の冗長性という点で非常に興味深い。
これは言ってしまえば、様式主義的な価値フレーム(ある種の贅沢さ)を近代的な建築言語を用いて作られたことによるかもしれません。
そう考えると、渡辺の作品経歴をふまえても納得のいくものになります。
つまりこの建築は前時代の価値フレームを冗長的に引きづりながら、新しい近代の建築様式を用いて、つくって’しまった’ものなのではないか、と。
だから後時代的(←現代)な理論的フレームでは理解できないところがいろいろ発生してくる。
でもこういうところにリアリティを感じるのは、人や社会っていうのはそういうものなんだと思うところがあるからです。
設計段階で、論理的に整理をつけようとぎりぎりまでそぎ落とし整理しても(まあ渡辺が近代主義的に整理をつけようとしていたかどうかは疑わしいですが)、どうしてもそこから漏れてしまうものがある。そしてそこに人間の欲望や慣習というものが紛れこんでくる。
それは最もおもしろいところだと思います。



実は今僕は、明治大正期の欧化主義的な洋館建築にすごく興味があって、なぜかというとそこには上記にあるような「無駄」が満ち満ちているからなんですけど
そこには人のどうしようもない「欲望」が読み取れます。
この微妙な感覚をリプレゼンテーション(再現)してくことはとてもクリエイティブなことだと思う。
こういったものは完成されたものより、大衆的で凡庸なものの方がいろいろ含み込みものが多くておもしろいんですけどね。
まあそんなわけで、ちょっとした戯言でありました。

The medieval garden

This is my article for class of graduate school,which was written in 2009


The medieval garden

When we think about medieval garden , we should know Japanese society in the medieval time .

In the medieval time , unlike ancient times including Heian period ,the samurai had bigger power than the aristocracy . In terms of religion , Zen Buddhism spread . In the late medieval time , the shogunate’s power was declining and system of social was changed. Japanese versions of temple management came to replace the strict monastic hierarchy of early medieval times. Small privately managed subtemples , not found in Chinese monasteries. Therfore we should distinguish between gardens in the early medieval time and in the late medieval time . So I argue medieval gardens by dividing medieval time into two times .
 

Firstly, I think difference between Heian garden and medieval garden. Relation garden and buildings is the key . When comparing these two types of gardens and buildings ,whereas the Heian palace had faced the garden ,two complementary parts of a total arrangement . The medieval garden was no longer the stage for outdoor ceremonies and parties . The garden came to be viewed as outdoor scenery . The medieval garden had scenic garden style.


Secondly , I think about early medieval gardens . In early medieval times , Zen Buddhism spread . When we think relation Zen and gardens , thinking about Muso Kokushi who was Zen priest and garden designer is useful .He designed many gardens .Tenryu-ji garden is one of them. When looking whole of Tenryu-ji , there are the garden and above all the waterfall composition across the pond .Garden views composed as vertical scenes are in Chinese theories of garden art known as “facing scenes”. The facing scene takes a most dramatic form in “mountains viewed across the water”. This waterfall is called as ryumon waterfall . At that time , this was completely new type of waterfall , creating an effect reminiscent of Chinese ink painting . The original Ryumon Fall was a forbidding waterfall on the upper reaches of China’s Yellow River. Legend has it that any carp able to climb the waterfall becomes a dragon and enters heaven .


Thirdly , I think about late medieval gardens . At that time , Zen temples became a salon for all kinds of cultural activities including poetry gathering and tea sessions . The new-style cultural meeting is found in temples as well as in palaces . Moreover the buildings where meetings were held began to change, the so-called shoin architecture, came into existence. For practical and economic reason , such as the cost of the nature of the subtemple , all decorative gardens of subtemple were small . And because of the nature of the subtemple they were also enclosed by walls or cheaper screening hedges or loose vegetation . The usual design consisted of a simple arrangement of rocks and sparse planting on a ground cover of sand ,gravel or moss. This dry landscape style is called karesansui. This small gardens can be divided in two groups regarding their overall composition : the ones that use a waterfall theme as a garden scene and and the ones that rely on an abstract scenic composition .Some abstract theme , such as the Buddhist Triad rock arrangement, belong to an old mainstream of rock arrangement concepts. An example of the former groups is the garden of the subtemple Daisen-in ,and one of the latter is the garden of Ryoan-ji .


In conclusion , the medieval gardens changed as time passed .The early ones were large , and there were waterfall composition across the pond . The latter ones were small ,and were constructed by drylandscape .There were two groups regarding their overall composition .
This change was due to change of social system .